ーーさっそくですが、セラピストになったきっかけは何ですか?
「多くのセラピストが語るような’’過去に◯◯セラピーで救われたから 私も誰かのためになる◯◯セラピーを取得したい’’という思いは全くもっていませんでした。きっかけはオーストラリアの永住権を取得する事。それには手に職があることが有利だと思ったからです。」
ーー手に職を求めてこの世界にはいる人も多いですよね。セラピストになる前は何をされていたんですか?
「セラピストになる前は11年間観光業界にいました。日本の大学を卒業して国内での就職を蹴りワーキングホリデーで渡豪したのですが、初めから現地での仕事は’’ツアーガイド’’と決めていたんですよ。」
ーー大学卒業してすぐ来たんですね。何故オーストラリアで、何故ツアーガイドと決めていたんですか?
「 海外赴任に憧れていたので、就職活動では外資系企業ばかり受けていました。結果は全滅(笑)それでも海外生活は諦められず英会話を学び、オーストラリアにワーキングホリデー制度があると知りました。暖かくて平和だし、コアラとカンガルーに会えて、オペラハウスや南十字星が見られるという理由でオーストラリアに決めました(笑)
仕事をツアーガイドと決めた理由は特になく、当時(1992年~)日本人として得やすい職で、健全にお金を稼ぐには最適だと思いました。そして、お金を稼ぐには大都市が有利でもあるため’’シドニー’’をターゲットにしていました。渡豪してから大陸一周も目指していたんですが 、ツアーガイドの仕事が面白すぎてハマり、結局仕事ばっかりしていました。」
「多くのセラピストが語るような’’過去に◯◯セラピーで救われたから 私も誰かのためになる◯◯セラピーを取得したい’’という思いは全くもっていませんでした。きっかけはオーストラリアの永住権を取得する事。それには手に職があることが有利だと思ったからです。」
ーー手に職を求めてこの世界にはいる人も多いですよね。セラピストになる前は何をされていたんですか?
「セラピストになる前は11年間観光業界にいました。日本の大学を卒業して国内での就職を蹴りワーキングホリデーで渡豪したのですが、初めから現地での仕事は’’ツアーガイド’’と決めていたんですよ。」
ーー大学卒業してすぐ来たんですね。何故オーストラリアで、何故ツアーガイドと決めていたんですか?
「 海外赴任に憧れていたので、就職活動では外資系企業ばかり受けていました。結果は全滅(笑)それでも海外生活は諦められず英会話を学び、オーストラリアにワーキングホリデー制度があると知りました。暖かくて平和だし、コアラとカンガルーに会えて、オペラハウスや南十字星が見られるという理由でオーストラリアに決めました(笑)
仕事をツアーガイドと決めた理由は特になく、当時(1992年~)日本人として得やすい職で、健全にお金を稼ぐには最適だと思いました。そして、お金を稼ぐには大都市が有利でもあるため’’シドニー’’をターゲットにしていました。渡豪してから大陸一周も目指していたんですが 、ツアーガイドの仕事が面白すぎてハマり、結局仕事ばっかりしていました。」
ーーツアーガイドのお仕事が好きで11年間も観光業に身を置いていたのに、永住権の為にマッサージの仕事に天職する事に抵抗はありませんでしたか?
「全く抵抗ありませんでしたね。むしろ永住権取得の希望をもって進みましたから楽しみで仕方ありませんでした! 私がセラピストの道へ進む頃、日本人観光客も目に見えて減少し日本の旅行会社も撤退していくほどでした。ちょうど仕事に飽きてもいましたし、お客様へ伝えてよい事やよくない事などのルールが多くなってきいて正直仕事にウンザリしていたところでした・・。 それに、もともと中学生の頃に独学でリフレクソロジーを学んでいたので、その延長線のような感覚で何の抵抗もありませんでした。これでようやく’’自由の身になれる〜’’って嬉しくなりました(笑)」 |
ーーそうだったんですね!というか、中学生で既にリフレクソロジーに興味があって独学で学ぶとは!!どなたかご家族などの影響ですか??
「漫画の北斗の拳の影響です(笑)」
ーーええっ!まさかここで北斗の拳がでてくるとは!確かにツボ押し(笑) ちなみにセラピストとしてどういう環境で働いていましたか?
「治療院で働いていました。中国人のオーナーで、北京オリンピックのアスリート担当ドクターでもあったので実践版 東洋医学を学ぶことが出来ましたね。しかも治療院があるエリアは、現地の富裕層が多く住んでいたので実技的な事はもちろん接客技術も習得できました。それと併せて、通っていたシドニーの自然療法専門学校から仕事依頼を受けて派遣セラピストもしていました。」
ーー治療院の環境は最高ですね!学校からの派遣のお仕事はどういうものでしたか?
「企業へ派遣されてそこでチェアマッサージを提供したり、オーストラリアン ファッションウィークに設けられたブースで、デザイナーやモデル・現地のテレビタレント・ニュースキャスターらにマッサージをするものだったりですね。」
ーーへー!企業派遣は分かりますが、ファッションウィークとマッサージのイメージが全然結びつかないですね~!さて、オーストラリアでの永住権取得を目的にセラピストととして働いていたという事ですが、永住権は取得されなかったんですか?
「実は、毎年永住権取得ポイントが変わるので断念せざるを得ませんでした。けれど、それを補うように豪華客船のスパで働く仕事に就けたので人生って面白いです(笑)」
「漫画の北斗の拳の影響です(笑)」
ーーええっ!まさかここで北斗の拳がでてくるとは!確かにツボ押し(笑) ちなみにセラピストとしてどういう環境で働いていましたか?
「治療院で働いていました。中国人のオーナーで、北京オリンピックのアスリート担当ドクターでもあったので実践版 東洋医学を学ぶことが出来ましたね。しかも治療院があるエリアは、現地の富裕層が多く住んでいたので実技的な事はもちろん接客技術も習得できました。それと併せて、通っていたシドニーの自然療法専門学校から仕事依頼を受けて派遣セラピストもしていました。」
ーー治療院の環境は最高ですね!学校からの派遣のお仕事はどういうものでしたか?
「企業へ派遣されてそこでチェアマッサージを提供したり、オーストラリアン ファッションウィークに設けられたブースで、デザイナーやモデル・現地のテレビタレント・ニュースキャスターらにマッサージをするものだったりですね。」
ーーへー!企業派遣は分かりますが、ファッションウィークとマッサージのイメージが全然結びつかないですね~!さて、オーストラリアでの永住権取得を目的にセラピストととして働いていたという事ですが、永住権は取得されなかったんですか?
「実は、毎年永住権取得ポイントが変わるので断念せざるを得ませんでした。けれど、それを補うように豪華客船のスパで働く仕事に就けたので人生って面白いです(笑)」
ーー永住権取得の条件が頻繁に変わるのは今も昔も変わってないんですね・・・。豪華客船の仕事はどうやって見つけたんですか?
「専門学校の卒業間際、校内のエレベーターに豪華客船のリクルート説明会の案内が貼り出されていました。 恥ずかしながら、当時は豪華客船を意味する’’Cruise Liner’’という言葉すら知らず、説明会で始めて豪華客船の仕事と知りました(笑)」
ーー(笑)それで仕事をゲットしたんですから凄いですよね!採用されるまでのプロセスはどんな感じだったんですか?
「説明会の後は、面接の予約→書類記入→筆記試験 & 実技試験を経て合否確認の電話連絡がきます。研修を受けるロンドン郊外のアカデミーに入所する日程を確認し、その間にビザを含めた渡航手配の案内を受けました。」
ーー実際に船上での生活はどうでしたか?
「船の生活は6年間に及びました。そのくらい仕事が面白いし船生活にハマりました。だって収入を得ながら豪華客船で世界を巡れるんですから〜!当時は借金もあったのですが 、それも完済できましたし、船上生活や寄港先で愉しむ余裕もありました。」
ーーそうですねー!トップクラスの船で旅行しながら収入も得られるんですもんね。生活環境とかルールとかはどうでしたか?
「時間厳守の規則正しい生活で、12時間労働です。ストレスフルな仕事と環境でしたから、クルー専用バーは常に混んで賑わっていましたね。私は飲まないから不参加でしたが(笑)クルーのためのパーティーも頻繁に開催されていましたよ。それから、やはり場所柄、安全訓練や避難訓練は義務づけられているので、欠席すると下船というペナルティーが課せられていました。安全管理が対応出来ない者は非常時にも対応出来ないので 、不要ですから降ろされます。」
ーーやはりそのへんは厳しいとはいえ、クルー専用のバーやパーティなどガス抜きするシステムがあるのはさすがですね!!しかし、規則正しい生活+12時間労働は私にはストレスフル過ぎます(汗)飲まないTOMOさんはどういうストレス発散をされていましたか?
「私は日々の仕事でもストレス発散していましたが、あとはジムで汗を流し、寄港地で観光したり海で遊んだりしていました。」
ーー永住権取得の条件が頻繁に変わるのは今も昔も変わってないんですね・・・。豪華客船の仕事はどうやって見つけたんですか?
「専門学校の卒業間際、校内のエレベーターに豪華客船のリクルート説明会の案内が貼り出されていました。 恥ずかしながら、当時は豪華客船を意味する’’Cruise Liner’’という言葉すら知らず、説明会で始めて豪華客船の仕事と知りました(笑)」
ーー(笑)それで仕事をゲットしたんですから凄いですよね!採用されるまでのプロセスはどんな感じだったんですか?
「説明会の後は、面接の予約→書類記入→筆記試験 & 実技試験を経て合否確認の電話連絡がきます。研修を受けるロンドン郊外のアカデミーに入所する日程を確認し、その間にビザを含めた渡航手配の案内を受けました。」
ーー実際に船上での生活はどうでしたか?
「船の生活は6年間に及びました。そのくらい仕事が面白いし船生活にハマりました。だって収入を得ながら豪華客船で世界を巡れるんですから〜!当時は借金もあったのですが 、それも完済できましたし、船上生活や寄港先で愉しむ余裕もありました。」
ーーそうですねー!トップクラスの船で旅行しながら収入も得られるんですもんね。生活環境とかルールとかはどうでしたか?
「時間厳守の規則正しい生活で、12時間労働です。ストレスフルな仕事と環境でしたから、クルー専用バーは常に混んで賑わっていましたね。私は飲まないから不参加でしたが(笑)クルーのためのパーティーも頻繁に開催されていましたよ。それから、やはり場所柄、安全訓練や避難訓練は義務づけられているので、欠席すると下船というペナルティーが課せられていました。安全管理が対応出来ない者は非常時にも対応出来ないので 、不要ですから降ろされます。」
ーーやはりそのへんは厳しいとはいえ、クルー専用のバーやパーティなどガス抜きするシステムがあるのはさすがですね!!しかし、規則正しい生活+12時間労働は私にはストレスフル過ぎます(汗)飲まないTOMOさんはどういうストレス発散をされていましたか?
「私は日々の仕事でもストレス発散していましたが、あとはジムで汗を流し、寄港地で観光したり海で遊んだりしていました。」
ーー仕事でストレス発散ですか!この仕事が好きな証拠ですかね?!TOMOさんの本に書いてありますが、TOMOさんはチップ王だったんですよね!船上ではどれくらいチップ頂けたんですか?
「施術コースに代金の10%が予めチップとして加算されていますが、それ以外に1日で大体100~200ドルをチップでもらっていました。他のスタッフはもらえないことがほとんどでしたし、もらえても20〜50ドルほどでしたね。」
ーーそれぐらい飛びぬけて良い施術をしていたという証拠ですね。船上生活6年の間、ずっと同じ船に乗っていたんですか?どういった所をまわられたんですか?
「いや、4隻の船に乗りました。最初の船はアメリカのマイアミを起点にしたカリブ海の「バハマ」専門、2隻目は ニューヨークと北カリフォルニアを起点にバミューダ諸島、バハマ、アラスカ、カリブ海。3隻目は サンフランシスコを起点にアラスカ、ハワイやマイアミを起点にしてパナマ運河通り東西カリブ海周遊。
4隻目は ’’クィーン メリー 2’’。これは世界的に名高いイギリスの名門かつタイタニック号で有名なキュナード社の客船です。ニューヨーク-ロンドン就航、ニューヨーク起点のカリブ海周遊、ドイツのハンブルグ起点の北欧周遊、ロンドン起点の地中海周遊、サンフランシスコ起点のワールドクルーズという感じです。」
ーー羨ましいぐらい色々まわってますね~!仕事が楽しくて船上生活にハマっていたTOMOさんは、何故下船しようと思ったんですか?
「先ほど言った4隻目のクイーンメリー 2のメインコースが、 ニューヨーク - ロンドンを5日間で行き来するコースなんです。これが毎日時差が発生することもあり、肉体的に相当負担になってきていたんです。その頃、ドバイで建設中であった世界最高の建物の中に、イタリア名門ブランドが初参入するホテルがあり、そのホテルのスパで働く機会を得られたため下船するに至りました。結局、様々な事情が重なってドバイに行くことは無くなり、日本へ帰国することになりました。」
ーー旅行で1日だけの短時間の時差でもきついのに、毎日異なる時差に合わせて働くとなると想像を絶しますね。ドバイには最終的には行かなかったという事ですが、どうやってチャンスを得られたんですか?
「ホテル建設のニュースを知って、ネットを駆使して情報を集めて自らコンタクトを取り、リクルート担当者に繋がることが出来ましたね。」
ーーさすが行動派!そんなTOMOさんですし日本へ帰国しても大丈夫だったとは思うんですけど、海外で長く働いた後での日本での仕事探しはどうでしたか?
「職探しのコツがわからず難儀しましたね〜。とりあえず、都内と近隣県内で整体院を経営する会社に入りました。海外キャリアがあるので、外国人が多く来る都内の老舗名門ホテルの店舗に配属されました。」
ーーホテルの店舗(スパ)だとリラクゼーションが中心なイメージですが、男性リメディアルマッサージセラピストとしてその辺りはどう調整されたんですか?
「技術指導を受けたときに、日頃のテクニックのままで良いと言われました。基本動作がありましたが、それを怠らなければ大丈夫でした。」
「いや、4隻の船に乗りました。最初の船はアメリカのマイアミを起点にしたカリブ海の「バハマ」専門、2隻目は ニューヨークと北カリフォルニアを起点にバミューダ諸島、バハマ、アラスカ、カリブ海。3隻目は サンフランシスコを起点にアラスカ、ハワイやマイアミを起点にしてパナマ運河通り東西カリブ海周遊。
4隻目は ’’クィーン メリー 2’’。これは世界的に名高いイギリスの名門かつタイタニック号で有名なキュナード社の客船です。ニューヨーク-ロンドン就航、ニューヨーク起点のカリブ海周遊、ドイツのハンブルグ起点の北欧周遊、ロンドン起点の地中海周遊、サンフランシスコ起点のワールドクルーズという感じです。」
ーー羨ましいぐらい色々まわってますね~!仕事が楽しくて船上生活にハマっていたTOMOさんは、何故下船しようと思ったんですか?
「先ほど言った4隻目のクイーンメリー 2のメインコースが、 ニューヨーク - ロンドンを5日間で行き来するコースなんです。これが毎日時差が発生することもあり、肉体的に相当負担になってきていたんです。その頃、ドバイで建設中であった世界最高の建物の中に、イタリア名門ブランドが初参入するホテルがあり、そのホテルのスパで働く機会を得られたため下船するに至りました。結局、様々な事情が重なってドバイに行くことは無くなり、日本へ帰国することになりました。」
ーー旅行で1日だけの短時間の時差でもきついのに、毎日異なる時差に合わせて働くとなると想像を絶しますね。ドバイには最終的には行かなかったという事ですが、どうやってチャンスを得られたんですか?
「ホテル建設のニュースを知って、ネットを駆使して情報を集めて自らコンタクトを取り、リクルート担当者に繋がることが出来ましたね。」
ーーさすが行動派!そんなTOMOさんですし日本へ帰国しても大丈夫だったとは思うんですけど、海外で長く働いた後での日本での仕事探しはどうでしたか?
「職探しのコツがわからず難儀しましたね〜。とりあえず、都内と近隣県内で整体院を経営する会社に入りました。海外キャリアがあるので、外国人が多く来る都内の老舗名門ホテルの店舗に配属されました。」
ーーホテルの店舗(スパ)だとリラクゼーションが中心なイメージですが、男性リメディアルマッサージセラピストとしてその辺りはどう調整されたんですか?
「技術指導を受けたときに、日頃のテクニックのままで良いと言われました。基本動作がありましたが、それを怠らなければ大丈夫でした。」
ーー本で読んだ限りTomoさんの施術方法は独自なので、自分のやり方で良いというのはTomoさんにはありがたいですね!本に書かれている身体のあらゆる首をゆるめて腸をゆるめるという方法はいつからされているんですか?
「船に乗ってからで、年々その技を磨いていきました。豪華客船では、多種多様な体型・体格の方々、様々な背景や文化を保つ方々の肉体に触れて自身の理論を実践して結果を出すには好い機会で、本当に有難い経験をさせてもらえました。」
ーー腸と体と感情の関係性に注目をしていった経緯は?
「先にも伝えた学生時代に働いていた東洋医学の治療院で、ドクターから経絡のことを学んだのがきっかけです。
人体の「首」と名の付く部位に臓器に影響するメリディアンポイント(経絡)があることや、それを刺激することで体調や骨格調整、姿勢改善に役立つことが、実践を交えながら独自理論と手法を組み立てるベースになりました。それを基にクライアントさんに接していたら結果が伴ったので自信に繋がりました。」
ーーそういった経緯を考えると、その治療院で働いた経験はもはや運命ですね!
「そうですね。あと腸のコンディションによって人体に様々な症状を伴うという東洋医学の万病一元論という理論がありますよね。腸の状態は筋骨格や関節まで影響し、例えば、肩こり・首の痛み・背中の張り・腰の痛みなども腸の状態が筋肉に出るパターンです。そして、喜怒哀楽の感情が各臓器と関連しているので腸のコンディションというのは 心身と繋がっています。
同じお客様がいつも同じ主訴を語ることもあり、思い当たることを試していった結果、感情の抑圧が腸を不快な状態にさせていることに突き当たりました。それだけではなく、日頃言葉にしていること・口にしているもの・栄養・水分・塩分・生き様などの見直しを、感情を解放させながら腹部を整えてみると、主訴が落ち着いたことから更に独自に深化させていきました。」
ーーそのやり方をやっているうちに、出版して世に広めたい!って思われたのですか?
「出版に関してはSNSを通じて知り合った整形外科医の方が、オーストラリア発祥のリメディアル セラピーに関心を示されたことから、出版社の編集担当者をご紹介くださった事が始まりです。」
ーーSNSで本に書いてあるような内容を発信されてたりしたんですか?
「帰国して独立した時からアメーバブログをやっていますが、そのような内容以上にもっと人間の本質のことをお伝えしています。」
ーーでは、本を出版する前から、書く事には慣れていたんですね。
「書いたり伝えたりするというのは元々好きでした。中学生の頃から学年代表で論文を発表するとか、大学のゼミの発表で、簡単な過剰書きメモだけで全体を説明するというのも何故か上手くやっていました。」
ーー得意分野を完全に活かしてますね!しかし、マッサージ関連の本を書くにあたって大変だったこととかありますか?
「出版編集担当者は、リメディアルセラピーに関したことをもっと伝えたかったようですが、 日本の代替医療のフィールドは法律の制限がありました。オーストラリアで通用することが 日本では絶対NGであることも多く、日本の法律の制限にかかる表現をせずに読み手の方々に受け容れてもらえる内容にするにはどうすれば良いのか?など多く編集していくことになりました。そのため、編集担当者にはとても労力と忍耐のいる作業をして頂きました。
あと、私は感覚的に取り組む性質で、理論的に取り組む側にいかに理解してもらえるかを伝えることに労力も費やしました。」
ーー感覚派な私も、書く事に四苦八苦中なので分かります(汗)今後はどんな展望があるんですか?!話せる範囲で(笑)教えてください。
「私は健康よりも元氣を起こせるように、様々なことを伝えたいです。今はまだ詳細を公表できる段階に至っていませんが、より多くの方々が ’’己の人生をたのしむ'' ''己の人生が豊かになる''こと、これらが可能となるようなあるプロジェクトに取り組みはじめました。これは私1人でやれるものではないので、様子をみながらその時その時に可能なことを行っています。」
ーー状況の変化を受け入れ、常に人生を楽しんでいるTOMOさん。探求心も深く、本まで出版し積極的に活動されています。そんなTOMOさんから、これから海外へ出てみたいセラピストさん、もしくは現在海外で活躍しているセラピストさんに一言お願いします!
「何事も全て’’経験’’。そして施術からクライアントへ手渡せるのはテクニックによる結果はもちろんのこと、’’あなたという人の心’’です。セラピストを生業にしているプロなら、テクニックがあるのは当然なので語る必要はありませんが、本当に相手に伝わるのは’’心というあなた’’です。
いまを愉しく過ごしていても、何かに躓いていてもそれら全てが必要であったと知り理解する日がきます。そしてその’’経験’’は必ず他の誰かにも必要な経験です。その経験から学び活かして、教訓として誰かに語れるようになるまで大切に味わい堪能して頂きたいです。」
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