ーーなぜオーストラリアへ来たんですか?
「日本で就いた仕事を1年で辞める予定が5年となり、タイミングを逃していたんですよね!彼女(現在の嫁)がワーホリを使いたいと言ったのが決め手で、辞めてオーストラリアへ来ました(笑)」
「日本で就いた仕事を1年で辞める予定が5年となり、タイミングを逃していたんですよね!彼女(現在の嫁)がワーホリを使いたいと言ったのが決め手で、辞めてオーストラリアへ来ました(笑)」
ーーそうなんですね(笑)しかし、オーストラリアに来て何でマッサージセラピストを選んだんですか?
「1回目のワーホリが終わって何もプラスがなくって、、、セカンドの時には何かしなくては!と思っていたんです。それで、今の時代は手に職だなっていうのは昔から思ってて、何か自分にできないかと考えていました。高校のころ、寮で毎晩のように先輩のマッサージをさせられていたな、これもありかなって(笑)
その後、日本の民間のスクールがオーストラリアで開催するセミナーをネットで見つけて、帰国中の日本から受講を申し込みしました。日本語で受講できるってところに惹かれて(笑)」
ーー結構手に職探をしている時に、自問自答してたセラピストって多いですよね。私もその一人でした。日本の民間のスクールがオーストラリアでセミナーしていたんですね。どんなのですか?
「日本人経営のスパがショートコースを運営していまして、確かBasic Massage, Remedial, Reflexology, Aroma などのコースだった気がします。私の場合、期間は1カ月受講しました。」
ーーでは、その後にマッサージセラピストとして働いたんですか?それともその後にオーストラリアの資格を取りに学校へ行ったんですか?
「受講後は、ゴールドコーストのショッピングセンターのアイランドコーナー(通路の真ん中の店舗スペース)でやっている、日本人経営のマッサージショップで働きました。オープンな環境なのでオイルなしのドライマッサージが中心でした。人によって期間はバラバラなんですけど、基本的にはみんな研修をしてもらえて、私は2回程受けました。
オーストラリアの資格は、そこを辞めてブリスベンに引っ越した時に、他の店で働きながらCertificate4とDiplomaを取りに行きました。」
ーー何か着実にステップアップしていってますね。そこからどうやって永住権につながったんですか??
「マッサージサロンを経営している人の家族が以前のお客さんでした。たまたま連絡を取ったら、人を探している旨を聞きました。それで一度手伝いでヴィクトリア州の店に行った際、スポンサーの話を持ち掛けました!
前例ないがやってみようという話になりましたが、その時まだ学校のコースが終了していなかったので、いったんその時は保留になりました。 それが2014年の3月で学校が10月中旬で終了。その後にすぐにヴィクトリア州へ移動して勤務開始って感じです。」
「1回目のワーホリが終わって何もプラスがなくって、、、セカンドの時には何かしなくては!と思っていたんです。それで、今の時代は手に職だなっていうのは昔から思ってて、何か自分にできないかと考えていました。高校のころ、寮で毎晩のように先輩のマッサージをさせられていたな、これもありかなって(笑)
その後、日本の民間のスクールがオーストラリアで開催するセミナーをネットで見つけて、帰国中の日本から受講を申し込みしました。日本語で受講できるってところに惹かれて(笑)」
ーー結構手に職探をしている時に、自問自答してたセラピストって多いですよね。私もその一人でした。日本の民間のスクールがオーストラリアでセミナーしていたんですね。どんなのですか?
「日本人経営のスパがショートコースを運営していまして、確かBasic Massage, Remedial, Reflexology, Aroma などのコースだった気がします。私の場合、期間は1カ月受講しました。」
ーーでは、その後にマッサージセラピストとして働いたんですか?それともその後にオーストラリアの資格を取りに学校へ行ったんですか?
「受講後は、ゴールドコーストのショッピングセンターのアイランドコーナー(通路の真ん中の店舗スペース)でやっている、日本人経営のマッサージショップで働きました。オープンな環境なのでオイルなしのドライマッサージが中心でした。人によって期間はバラバラなんですけど、基本的にはみんな研修をしてもらえて、私は2回程受けました。
オーストラリアの資格は、そこを辞めてブリスベンに引っ越した時に、他の店で働きながらCertificate4とDiplomaを取りに行きました。」
ーー何か着実にステップアップしていってますね。そこからどうやって永住権につながったんですか??
「マッサージサロンを経営している人の家族が以前のお客さんでした。たまたま連絡を取ったら、人を探している旨を聞きました。それで一度手伝いでヴィクトリア州の店に行った際、スポンサーの話を持ち掛けました!
前例ないがやってみようという話になりましたが、その時まだ学校のコースが終了していなかったので、いったんその時は保留になりました。 それが2014年の3月で学校が10月中旬で終了。その後にすぐにヴィクトリア州へ移動して勤務開始って感じです。」
ーーめっちゃラッキー!!手続きとか大変でした?ちなみに、ビザの正式名称って何ですか?私全然知らないので。
「私はエージェントを使ったので、個人的には対して大変とは思いませんでした。上記期間中に会社が書類などを用意、RCB(Regional Certifying Body:スポンサーの前例がない会社は必ずチェックが入ります)にてアセスメント等々。これ通過出来なければスポンサー自体出来ないので最初に確認が必要になりました。 私は、犯罪証明書、戸籍抄本、IELTS-各モジュールで6以上等々いろんな必要書類を用意しエージェントに提出、プラスオーナー側が用意してほしいものを集めました。RSMS(Regional Sponsored Migration Scheme) Subclass 187が正式名称ですね。このビザの中にも何通りかあるみたいです。私はDirect streamという事で、申請後半年くらいでビザが下りました。 ただ条件として、ビザが下りた日から2年間その会社での就労が義務づけられています。万が一途中で解雇、辞職などが発生した場合はビザ取り消しになるというものです。
スポンサーをしてくれる会社を自分で見つけられれば、費用の削減につながります。大体$8000くらい変わってきますかね~。」 |
ーー8000ドル!それが削減できるならスポンサー会社を自分で見つけるのに必死になりますね・・・。何故8000ドルも変わるんですか?
「自分でスポンサー会社を探せない場合は、エージェントがスポンサー会社を探します。直接色んな会社にコンタクトを取り、お互いが合意できるように、インタビューやトライアルをしたりする仲介をしてくれます。合意が取れなければ、エージェントがさらに次の会社を探す流れになると言われました。そのため、自分で会社を探すことができたら、手数料を節約する事ができるというわけです。」
ーー手数料がかかるとはいえ、そういう事もエージェントがしてくれるんですね!知りませんでした。そしてRegionalエリアって事は田舎なので、都会なブリスベンからの引っ越しは奥さん的にはOKだったんですか?
「いや、私だけ引っ越して嫁はブリスベンに住み続けました。移動する場所を見ていて、嫁には仕事探しなどが非常に難しいのではないかなと思ったんで。永住権のために二人で話し合って決めました!!エージェントにも確認して大丈夫と言われたので。」
ーーそうなんですね。しかし、奥さんと離ればなれ(泣)最低2年ですよね…。実は私の友達にも、永住権の為に離れ離れに暮らしていた夫婦を知っています。まじリスペクトです!ちなみにどれくらいの田舎だったんですか?
「クリニックがあった場所はそんなに田舎って感は強くなかったですよ。人口約1万人くらいの町で、基本的になんでもそろいますね。ただ自分が住んでた所はそこから43キロくらい離れた街灯や店など何もないところでした。」
ーー8000ドル!それが削減できるならスポンサー会社を自分で見つけるのに必死になりますね・・・。何故8000ドルも変わるんですか?
「自分でスポンサー会社を探せない場合は、エージェントがスポンサー会社を探します。直接色んな会社にコンタクトを取り、お互いが合意できるように、インタビューやトライアルをしたりする仲介をしてくれます。合意が取れなければ、エージェントがさらに次の会社を探す流れになると言われました。そのため、自分で会社を探すことができたら、手数料を節約する事ができるというわけです。」
ーー手数料がかかるとはいえ、そういう事もエージェントがしてくれるんですね!知りませんでした。そしてRegionalエリアって事は田舎なので、都会なブリスベンからの引っ越しは奥さん的にはOKだったんですか?
「いや、私だけ引っ越して嫁はブリスベンに住み続けました。移動する場所を見ていて、嫁には仕事探しなどが非常に難しいのではないかなと思ったんで。永住権のために二人で話し合って決めました!!エージェントにも確認して大丈夫と言われたので。」
ーーそうなんですね。しかし、奥さんと離ればなれ(泣)最低2年ですよね…。実は私の友達にも、永住権の為に離れ離れに暮らしていた夫婦を知っています。まじリスペクトです!ちなみにどれくらいの田舎だったんですか?
「クリニックがあった場所はそんなに田舎って感は強くなかったですよ。人口約1万人くらいの町で、基本的になんでもそろいますね。ただ自分が住んでた所はそこから43キロくらい離れた街灯や店など何もないところでした。」
ーー何故職場の近くではなく43キロも離れた所に住んでたんですか?
「私が行った周辺は、ハウスメイトを募集している家を探すのがとても大変なため、スポンサーをしてくれたオーナーが住む部屋も提供してくれました。」 ーーオーナーさん凄く良い人ですね!地方に引っ越すにあたって、奥さんと離ればなれ以外で何かマイナスとプラスな面は何でしたか? 「自分は特にマイナスだなって思わなかったです。しいて言うなら何もなさすぎるっていうことくらい(笑) これは日本も一緒だと思いますが、プラスは人との触れ合いが都会などと比べてもっと近く、自然が多くいろいろな場所にドライブに行けたことですかね。」 ーー永住権を取得した今、やりたい事がやりやすい環境に変わった訳ですよね。もうビザに振り回される事もなく。今後どういう風にしたいっていうプランとかあるんですか? 「そうですね、自分のペースで満足のいく施術や接客できるように、技術・知識向上させたいですね。あと、ビザからフリーになったので、行く先々でマッサージしながら旅するってのも良いですね~。」 |
ーーそれ良いですよね!!マッサージしながら旅して行くの!!私もちょっとそれ考えた事あります!そして今、なぜブリスベンでモバイルというかたちで独立しようと思ったんですか?
「いや、別にモバイルという形にこだわった訳ではないんですよ。今後変えていく可能性もあるし、お店で働くと何かと制限があるもんで、ただ自分のペースで働きたいだけですね。」
ーー現在の奥さんと一緒にワーホリで入国したTakeshiさん。セカンドビザが目的ではなかったそうですが、WWOOFでファームの仕事にも一緒に行ったり、永住権のための引っ越しの際は話し合って別々で暮らしたり、パートナーとの深い信頼関係のもと、二人三脚で歩んできたのが伺えます。永住権のためにステップアップしていったそんなTakeshiさんから、海外へ出たい、海外で既に奮闘中のセラピストへ一言!
「まずは自分がどうなりたいか明確にして、それに向かって進むだけかなと。言うのは簡単ですが...失敗を恐れず一つ一つ進める事。失敗してもそれを糧に次につなげる事。負けを知ってる人は、柔軟な考え方も出来るようになるし。そしてさらに一つずつ進む!!!これですね。
新しい事、環境に対しての挑戦にはいつだって不安は付きものですよね。そこで一歩進むか、立ち止まるかで人生が大きく変わってくる、っていうのが私が体験した事実です。私も永住権が取れるまでにいくつもの壁、挫折しそうな時がありました。その都度自分がどうしたいのかを考え、前に進むことだけに集中した結果今があります。
このサイトを見ている皆さんの中に、海外で永住したいなっていう人も多くいるでしょうが、諦めない気持ちがあれば結果はついてくるはずだから頑張ってください。」
Takeshiさんの最後の一言を聞いてShakiraのTry Everythingという唄が頭に過りました!子供用映画のテーマソングなんですけどね(笑)、リンク先で歌詞をチェックしてみて下さい。
フレキシブルに自ら動いて道を切り開いていっているTakeshiさん。マッサージの職業枠で永住権を取るってほんとに大変なんですよね。でも彼のように実際に取ってる人たちがいるのも事実。前向きに進んだ結果、運とご縁も味方につけたTakeshiさんの勝利ですね!
今後はRegional Sponsored Migration Scheme、 Subclass 187で永住権を獲得した過程を記憶がまだ新しいうちに情報提供してもらいます。ココをチェックしてください。
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